国際メディア情報戦

まえがき

重要な情報というのは、一部のスパイや為政者などのみにおいて共有される秘密。
情報戦といえばCIAやMI6のような諜報機関が秘密の情報を得るために暗躍するもの。
そのようなイメージを持つ人が多いかもしれない。

それは正しいのだが、それは情報にまつわる一側面でしか無い。

現代における情報は、秘密にするのではなく、いかに外に出すかが重要。
新聞やインターネットなどのメディアの発達により、情報の発信力は大幅に高まった。
いかに重要な情報を発信し、多くの人の心を動かすかが情報戦である。

序章 イメージが現実を凌駕する


陳光誠の亡命騒動

2012年4月、中国の地方都市にいた反体制活動家に突如、国際メディアの焦点が当たった。
彼の名は『陳光誠』という。
日本ではさほど盛り上がらなかったが、CNNなどの国際メディアは彼の話題で持ちきりとなっていた。

陳氏は山東省の自宅に軟禁状態にあった。
彼はそこから決死の逃避行を行い、米国大使館に逃げ込んだ。
そして中国から米国へ出国するというその時が来た。
しかし彼はなぜか突如出国を思い留まり、米国大使館を後にしてしまったのだ!

ところが滞在先の北京市内の病院で、陳氏は再び出国の意志を宣言。
その身柄をどうするかが問題となった。

陳氏は中国政府にとっての聖域である米国大使館を既に出てしまっている。
だからオバマ大統領にもクリントン国務長官にも手の打ちようがない。
つまり中国政府の考え一つでどのようにもなる状況だ。
そして中国政府は天安門事件以降、反体制派の人間には厳しい対応を取っている...

ここから予想される展開は以下のように考えられる。
中国政府は陳氏の出国を認めず、陳氏の安全は脅かされる。
つまり『オバマ大統領が一度米国大使館に助けを求めた人権活動家を見捨てた』。
そのような認めがたい事実が出来上がってしまうことになる。

ところが展開は予想外の方向に進んでいく。
なんと中国政府は陳氏の米国行きをあっさりと認めたのだ。

反体制派に甘い対応を取ると、反体制派を助長してしまう大きなリスクが伴う。
なぜ中国政府はそのようなリスクを犯してまで陳氏のアメリカ行きを認めたのだろうか?
大統領選を戦うオバマ氏の大失点になりそうなこの問題を早期に収束させることで、中国政府がオバマ氏に恩を売ろうとしたのかもしれない。
あるいは折しも開催されていた米中戦略・経済対話をぶち壊しにしないために幕引きを狙ったのかもしれない。
陳氏を国外に厄介払いしただけなのかもしれない。
しかし、これらは通常の分析でしかない。

そこにはもっと別の理由がある。
この時、国際メディア情報戦における中国に対する集中的なバッシングが起こりつつあった。
中国政府はこれ以上の急速な国家イメージの悪化を防ぐため、今回のような手を打つしか無かったのだ。

増幅されたネガティブ・イメージ

いかに中国のイメージを損なう報道を世界的メディアによって行われていたかを示す一つの例がある。
それはCNNの『アンダーソン・クーパー360°』での出来事である。

番組が始まり陳氏関連のニュースの場面に入った。
すると画面右下に小さなサブ画面が現れた。
そこには北京で現在放送されているCNNi(CNN国際版)が映し出されていた。
そしてアンカーのクーパー氏はこう説明する。
「中国国内ではCNNの放送であっても陳氏の問題に触れると放送が即座に遮断される。今日もそうなるかどうかをお伝えしたい」

それから数秒後、クーパー氏は現地北京にいる記者に質問を行った。
現地記者が質問に答えようとしたまさにその瞬間、サブ画面の中継画像は真っ暗になった。
中国政府が検閲を行い、放送を遮断した決定的な証拠である。

クーパー氏はすかさずコメント。
「いまご覧になったように画面が真っ暗になりました!我々は現在中国政府による放送妨害を受けています!」
その後もクーパー氏のコメントは続く...

中国においては新聞、テレビ、ネットなどあらゆるメディアで検閲が行われているということは世界中でよく知られている。
だが知識として知るという事と、生放送において検閲の決定的な証拠を見せつけられる事の衝撃はまるで違う。
このようなドラマチックな演出は人の記憶に強く残る。

陳氏の事件はABC、CBSNBCアメリカ三大ネットワークやFOXニュースも集中豪雨的に取り上げた。

盲目の人権活動家の決死の逃避行。
そして窮状を訴える電話の肉声が米国議会の公聴会に直接伝えられる。

これらはいずれも、人を引きつけるとてもテレビ的なドラマ性を持っている。
各局はさらにそれをいかに劇的に伝えるかでしのぎを削る。

そこには一貫して描かれるイメージがある。
『人権を軽視し、表現・報道の自由がない暗黒の中国』
『欧米先進国とは根本的な価値観において相容れない国』

中国政府はこのネガティブなイメージの増幅を嫌った。
だから陳氏がアメリカに到着後、クーパー氏の陳氏への単独インタビューを中国は遮断しなかった。
クーパー氏は「今回は彼らは検閲を行わなかった」とすこし残念そうにコメントを残した。

情報を巡る戦場においては虚々実々の駆け引きが行われているのだ。

銃弾を使わないもう一つの戦い

他にも中国に関する報道で有名なものがある。
2010年に日本の尖閣諸島で起こった中国船船長逮捕事件である。

船長が逮捕され石垣島に連行された当初、主力海外メディアはこの事件をあまり大きくは報じなかった。
有り体に言えば、彼らにとっては『他人事』でしかなかった。

そして中国は船長を釈放しない日本に対しレアアースの禁輸措置を取った。
その瞬間、海外メディアのこの事件に対する扱いは急変。
ニューヨークタイムスやワシントン・ポストなどの主力メディアがトップニュースでこれを伝え始めた。
『中国は国際社会の貿易のルールを逸脱する異質国家ではないか?』と疑問を呈し始めたのだ。

国家間の問題を資源の輸出入の分野で嫌がらせを行うということは、国際関係の常識を守る国家であるならば行わないことだ。

今回の禁輸措置は日本が対象であった。
だがもし中国と別の国との間で何らかのトラブルが起こったとする。
そうなれば他の国に対しても同様の措置がとられるだろうと考えられる。

そう考えた瞬間、海外メディアは『他人事』ではなく、自分たち『国際社会全体の問題』としてこの問題を取り上げ始めたのだ。
そこから中国に対する国際社会の視線は厳しくなった。

実際、温家宝首相は日本に対しては厳しい発言を続ける裏で、メディアに対しては禁輸はしていないとの釈明を行わねばならない自体に追い込まれていた。

この事件もまた情報戦の一つだ。
情報戦とはグローバルな情報空間で形作られる巨大なイメージをどのように誘導するか。
国家、起業、PRエキスパート、メディア間で行われる熾烈な銃弾を使わない戦闘である。

この戦いは冷戦後の世界を動かすことになった。
世界のテレビメディアのグローバル化が急激に進展したことが背景にある。
それによりCNNやBBCなどの国際的な影響力を寡占する『メガメディア』が出現した。
それらの活躍はベルリンの壁崩壊、それに続く湾岸戦争のあたりから始まった。

中でも湾岸戦争での報道は象徴的だ。
CNNのピーターアーネット記者が可搬型テレビ電波打ち上げ機をバグダット持ち込み米軍の空爆を生中継で伝えた。
それは全世界の家庭のテレビで報道され、新たな時代の幕開けを衝撃的に演出した。

国際世論は彼らの論説や報道をもとに作り出される。
国際機関や主要国もその影響から逃れることはできない。

その結果、現実世界での出来事は重要ではなくなる。
むしろそのメタ的世界である『情報空間』において何が描かれているのかこそが重要となってくる。
むしろ情報空間が現実世界に影響を与え動かしているのだ!

つづく

 

# 備考
これは『国際メディア情報戦』の読書メモです。